毒親と毒地元のダブル育ちblog

/もうこんな地元住みたくないよぉお\ 治安の悪い地元生まれ。機能不全家族育ち。対策案やただの愚痴を綴っています。

すいません休養してました。

実は、このところ、記事が更新できないほどの状態でした。

もう、ブログまた書けそうになったので、また書いていきます。

前の記事には「家を出る」っては書いてあります。

あれからは、まだ出られてない状態のままです。

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崎元、あのまま家を出るはずでした。

生活保護はあまり良い話を聞かないのでパスやな。って考えも含めて。

プライドとかの理由は特になくて、単純に過去の経験から、福祉の人たちも苦手やったから。

小さい頃の記憶やけどな。

まだ体調は不安定で、家からまだ出られないです。

自分には正直苛々しとる。

リスカはまたしたし。

えらいしたし。

家を出る計画は手帳にまとめてた。

計画の主なテーマ

「虎視眈々と毒親や毒地元から脱出計画」

けれど、毒父から椅子をブン投げられた直後、

突然声が出なくなりました。

荷物いっぱいトランクに詰めて、都内某所まで逃げ回った。

それだけ遠くに行って、途中でシんでも構わなかった。

声が出ない崎元は、

某都内の駅員さんには筆談でした。

自分で100均のホワイトボード用意しててんw

そこは不思議に頭回るもんなんやなと思った。

ダメ元で駅員さんと警備員さんに病院を聞いた。

もう終電の時間やってん。

駅員さん達には無茶振りやとは思ったけど、

そんな時、

家族以外の崎元のために、一生懸命、崎元のためにタブレットで調べてくれた。

「今空いてる病院がなくて…」との回答やったけど、なんかほっとした。

涙堪えながらやけど、ありがとうって気持ちでそれだけで一杯やった。

遠くからやし、

「崎元、引き返すもんか」って気持ちがダントツ強かった。

交番の警察の人に、カプセルホテルやマンキツの場所を聞いた。

まず、警察の人は崎元の姿見てびっくりして、話の流れで、「なぜ突然都内に来られたの?それとも元々都内の人?」っていう話に。

尋問やないですよw

その頃の崎元は、熱さまシート+マスク。

おまけにホワイトボードでの筆談やった。

経緯をまんま書いて話した。

・毒父に椅子投げられ、コロす気の目やったこと。

(多分サイコパスやからコロすとかあり得る)

・部屋中めちゃくちゃにされた事

・小さい頃からの虐待

・今も家族と住みたくない。邪魔がられてるから。

ホワイトボードに書く間も待ってくれて、

慎重に丁寧に話を聞いてもらった。

警察の人

「そっか…それで遠方から突然出ていっちゃったんだね…

…お荷物いっぱいですもんね。」

とにかく、優しい人やなってのはわかった 笑

伝わってきててん。

えらい言葉選んでてん。

おじいさんやったんやけど、遠くをみつめながら言葉を詰まらせつつ話してた姿は、今でも覚えてる。

なにを思ってたのは、さすがに読めへんけど、

(考察はいらんやろ)

家庭環境、毒親問題は

「その場を凍てつかすパワーを持つ重いテーマ」やろなと改めて自覚した。

ドロッドロしとるもんな。

「家族を持つ人はまだまだ徐々に減ってくんちゃうかな」

って個人的に思ったわ。

少子化少子化言うけど、もう増やさなくてええよ」ってのも、かなり個人的に思ってる。

せやけど、人に話すことは出来へん。

だからこのブログってやつに書いてはる。

また田房永子さんの話しになってまうけど

田房さんの毒親漫画「母がしんどい」にも書いてあったな。

皆んな同じ思いしてたんやな。

毒親あるあるも、崎元の毒親まんまやってん。

(「ウチも毒親や」っていう皆さん。毒親あるある当てはまっているもんですかね?)

と、この事を思いつつ、

交番の人と話しながら思い出す→新たに「人に言えない悩みであること」気づくのやった。

忘れない!交番の人、ありがとうございます。

交番の人の回答は、

一旦カプセルホテルでゆっくり休んでから、

夜が明けて病院へとの提案でした。

警察の人も「めんどくさいだけやろ」とかは一切感じなかった。

駅員さん警備員さんも、仕事やからとかそんなんは抜きに感謝しかあらへん。

ホテルは皆一杯でマンキツへ。

崎元、もうその頃には、

インフルエンザみたいな体の症状やった。

※インフルやなかったで✌🏻

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身体はめっちゃ汗かくほど熱いし(まだ寒い時期やったな)、

カラ咳が止まらんくて、周りの人には大変うるさがられたろうな。

でも寝れた。

そこが救い。

フラットシート空いてて良かった!

けれどこうして書いてる今、

もしあの時マンキツに行けなかったら…

と、今考えるとゾッとする。

都内の人たちは優しい。

毒地元なんかよりえらい違いやw

(あいつら親切にされても腐った顔するもんな!なんなんあれは。崎元もそこ生まれやけ不思議や)

あれから半月喉は治らんかった。

家族との誰とも話したなかったからええわw

仕事の人たちに関しては元々話さず済む環境のとこやからなんか助かった。

ようやく行けた病院で薬貰って、やっと症状が快方に向かって、今に至る崎元。

元々マメじゃないブログが、もっとマメではなくなったw

で、病院で先生が

「あとで母親呼んでください」と。

毒母は、栄養面での指摘、病院代を出さないこと、病院に連れて行かない事を指摘されたそうな。

ほんっっま、毒親の家庭って、健康に悪いんやな。

"毒"という言葉がぴったりな事にも改めて気づいた半月やった。

けど前の更新から、半月以上経ってるんかな。

精神的にも廃人になりかけてた。